スウェーデンから受け継いだ冬。私が挑んだ日本の夏。

――諦めなかった、一人の大工とプラスエナジーハウスの物語

1973年。

私が生まれた年です。

その頃、遠く離れたスウェーデンでは、厳しい冬を快適に暮らすための住宅技術が発展していました。

断熱、気密、トリプルガラス、熱交換換気。

1970年代後半には、スウェーデンの新築住宅でトリプルガラスが標準的に使われるようになっていたそうです。

その歴史を改めて知り、私は驚きました。

私がまだ子供だった頃、スウェーデンでは、すでにそんな住宅づくりを考えていたのか。

日本では今、高断熱住宅やトリプルガラスの採用が広がっています。

でも、ずっと前から住宅の快適さと省エネルギーを追い求めてきた人たちが、海の向こうにいたのです。

私は、その技術者たちに心から敬意を表しています。

私を探していた人がいた。

人生には、不思議な出会いがあります。

私には、住宅の技術を教えてくれた恩師がいます。

その方は、私のような職人を、血眼になって探していたと聞いています。

私は、その方がスウェーデンの優れた住宅技術を日本に伝えたかったのだと思っています。

技術は、ただ製品として輸入すればいいわけではありません。

その価値を理解し、現場で生かせる人がいなければ、本当の意味では伝わらない。

きっと、その技術を託せる人を探していたのでしょう。

そして、私たちは出会いました。

今でも思います。

神様が出会わせてくれたのではないか、と。

その出会いが、私の家づくりを大きく変えました。

ガデリウスと、プラスエナジーハウス。

私が出会ったのは、ガデリウスが日本で展開していた「プラスエナジーハウス」でした。

年間で使う以上のエネルギーを生み出すことを目指す住宅です。

私はガデリウスと正式に契約し、プラスエナジーハウスの家づくりに取り組みました。

私が感動したのは、太陽光発電のことだけではありません。

家の断熱性能を高める。

気密を確保する。

新鮮な空気を届けながら、熱を無駄にしない。

少ないエネルギーで快適に暮らす。

一つひとつの技術に、ちゃんと意味がある。

そして、それらがつながることで、住宅全体の性能が生まれる。

私は、この考え方に夢を感じました。

家というのは、ここまで考えてつくれるものなのか。

本当にすごいと思いました。

しかし、私にはもう一つ、考えなければならないことがありました。

日本の夏です。

 

スウェーデンの冬と、日本の夏。

スウェーデンの住宅技術は、厳しい寒さに対応するために発展してきました。

それは本当に素晴らしい技術です。

でも、日本には高温多湿な夏があります。

冬に暖かい家をつくる技術だけでは、夏の快適さまで実現できるとは限りません。

断熱性能を高めただけでは、湿気はなくならない。

気密性能を高めただけでは、家中が涼しくなるわけではない。

エアコンで空気を冷やせば、それで終わりというものでもない。

私は、どうしても納得できませんでした。

冬は暖かい。でも夏は暑い。そんな家で、本当に完成と言えるのだろうか。

私が欲しかったのは、一年中快適な家でした。

冬だけでも、夏だけでもない。

リビングだけでも、寝室だけでもない。

家中どこにいても、春のように過ごせる家。

しかも、少ないエネルギーで。

その答えを、自分で見つけたかったのです。

私が加えたかった、夏の技術。

それから私は、長い年月をかけて断熱、気密、換気、空調を考えてきました。

エアコンの風を人に当てて冷やすのではなく、住空間全体を快適にする。

温度だけではなく、湿度も考える。

空気だけではなく、天井や壁、床の温度も考える。

冬は体の熱が奪われにくい環境をつくる。

夏は蒸し暑さを取り除き、家中を心地よく保つ。

そして、家庭用エアコン1台で家全体を快適にする。

そのための技術を、現場での経験と研究を通して磨いてきました。

今、私はそれを「魔法のエアコン」と呼んでいます。

スウェーデンから受け継いだ冬の技術。

そこに私が加えた、日本の夏の技術。

その二つをつなげたかったのです。

私は、スウェーデンの技術を否定したいわけではありません。

むしろ、尊敬しているからこそ、その技術をさらに生かしたかった。

技術を受け継ぐとは、同じものをつくり続けることではない。

自分の国の気候や暮らしに合わせて、次の技術へ発展させていくことなのではないか。

私は、そう考えています。

雪国で、太陽光発電に挑む。

新潟県長岡市。

冬には屋根に1メートルもの雪が積もることがあります。

太陽光パネルに雪が積もれば、発電できません。

雪国に太陽光は向かない。

そう考える人もいるでしょう。

でも、私は違うことを考えました。

発電できない日があるなら、家が使うエネルギーを小さくすればいい。

暖房を我慢するのではありません。

快適に暮らしながら、必要なエネルギーを小さくするのです。

そして2014年。

新潟の雪国に、プラスエナジーハウスが完成しました。

あのとき、私が思い描いた住宅の一つの形です。

10年後、その家はどうなったのか。

住宅は、完成したときだけ良ければいいものではありません。

大切なのは、そこから始まる暮らしです。

家族が10年、20年、30年と暮らしていく。

その間も、快適であってほしい。

省エネであってほしい。

そして、住んでいる人に愛される家であってほしい。

2014年に完成したプラスエナジーハウス。

建築から10年後の2024年、電気料金の記録を確認しました。

年間買電料金は168,324円。

年間売電収入は159,654円。

差し引き、年間8,670円。

もちろん、これは太陽光発電の売電収入を差し引いた電気料金の収支であり、設備の設置費用や維持費などは別です。

それでも、私はこの数字に大きな意味があると思っています。

新潟の雪国。

オール電化。

家中を冷暖房する暮らし。

10年間、実際に家族が生活してきた結果なのです。

私が目指したのは、我慢して電気を節約する住宅ではありません。

家族が快適に暮らして、それでもエネルギーを大切にできる住宅です。

あの日、ガデリウスのプラスエナジーハウスに感動したこと。

雪国でもできるはずだと挑戦したこと。

その思いが、10年後にもこうして残っている。

私は、それが本当にうれしいのです。

でも、家をつくるのは本当に大変です。

トリプルガラス。

簡単に言いますが、現場では50kg、100kg、大きなものでは300kgにもなる窓を扱うことがあります。

熱交換換気設備も、50kgほどの重量になるものがあります。

そうした設備を安全に取り付けるだけでも、大変な仕事です。

さらに、気密を確保する。

断熱材を正しく納める。

空気の流れを考える。

完成してしまえば見えなくなるところまで、一つひとつ施工する。

毎日、体力を使います。

正直、今は体をだましだまし仕事をしているところもあります。

それほど大変でも、なぜ続けるのか。

私は、家が人の人生を支えるものだからだと思っています。

子供が育つ。

家族が年を重ねる。

疲れて帰ってきた人が、ほっとできる。

寒さや暑さを過度に我慢しなくていい。

その何十年もの暮らしを支えるために、私たち職人は家をつくっています。

ただ、職人が命を危険にさらしていいわけではありません。

安全に施工する方法を工夫し、仲間と力を合わせ、次の世代が長く働ける技術にしていかなければならない。

それも、私たちの大切な仕事です。

家は、人の人生を支える。

その家をつくる職人にも、人生がある。

私は、このことを忘れたくありません。

「そんなことをして、何になるんだ」

ここまで読んで、簡単にできることではないと思われたかもしれません。

その通りです。

私自身、何度も言われてきました。

「そんなことをして、何になるんだ」

「そこまでやる必要があるのか」

「そんなことをしていたら、儲からないだろう」

「手間がかかりすぎるんじゃないか」

もう、何度聞いたか分かりません。

聞き慣れてしまいました。

そんなことは、私だって分かっています。

トリプルガラスは重い。

施工には手間がかかる。

気密を徹底するのも簡単ではない。

換気や空調を家全体で考えれば、設計にも時間がかかる。

いい家をつくろうとすれば、簡単には済まないことがたくさんあります。

それでも私は、思うんです。

手間がかかるから、やめるのでしょうか。

儲からないかもしれないから、諦めるのでしょうか。

もし、そうやって諦めていたら、今の家は生まれていなかったかもしれません。

スウェーデンの技術に出会っても、ただ感動して終わっていたでしょう。

雪国でプラスエナジーハウスに挑戦することもなかったでしょう。

日本の蒸し暑い夏を快適にする方法を、ここまで考えることもなかったでしょう。

私は、手間がかかることを美徳にしたいわけではありません。

無駄な仕事なら、減らせばいい。

もっと簡単に、もっと安全に、同じ性能が出せるのなら、その方法を選べばいい。

でも、住む人の快適さや健康に必要な仕事まで、手間だという理由だけでなくしてはいけない。

そこだけは、譲れないんです。

家を建てる会社にとっては、数か月の仕事かもしれません。

でも、そこに住むご家族にとっては、何十年もの人生です。

一度建ててしまえば、簡単には取り替えられません。

そんな大切なものをつくるのに、手間ばかり気にしていて、本当にいいのでしょうか。

もちろん、私たちも仕事である以上、利益を出さなければ続けられません。

職人の暮らしも守らなければなりません。

だからこそ、いい仕事の価値を正しく伝え、正当な対価をいただける家づくりにしていきたい。

安く、早く、簡単につくることだけが、住宅の進歩ではないと思うんです。

完成して10年、20年、30年経ったときに、住んでいる人が「あの家を建ててよかった」と思えること。

私は、そこに本当の価値があると信じています。

何度否定されても。

何度、無駄だと言われても。

私は、諦めませんでした。

そして今も、諦めていません。

誰かに理解してもらえなくても、いい。

すべての人に認めてもらえなくても、いい。

それでも、同じ思いを持つ人が一人、また一人と現れたら。

私が教えた職人が、また次の家をつくってくれたら。

その家で、ご家族が快適に暮らしてくれたら。

それだけでも、続けてきた意味があると思っています。

「そんなことをして、何になるんだ」

その答えを、私は言葉だけで説明するつもりはありません。

私がつくった家で、答えていきたいんです。

今度は、私が技術を伝える番になりました。

昔、私を探してくれた恩師がいました。

その方との出会いによって、私は素晴らしい住宅技術を受け継ぎました。

そして今、私は若い工務店の人たちに技術を教えています。

福島の職人さんたちとも、家づくりを通して深い関わりが生まれました。

気密施工の方法を教える。

どうしてその施工が必要なのかを説明する。

実際に測定する。

結果が出る。

職人さんが自信を持つ。

そして、自分たちのつくった家を、お客様に見せたくなる。

私は、その姿を見るのが本当にうれしいんです。

あの頃、スウェーデンの技術に感動した私がいました。

そして今、私の家づくりに興味を持ち、技術を学ぼうとしてくれる人がいる。

不思議なものですね。

昔、私が技術を受け取った。

今度は、私が技術を渡している。

何十年後かに、私の教えた職人が、また次の世代へ技術を伝えているかもしれません。

その頃には、私の名前など知らない人もいるでしょう。

でも、それでいいと思っています。

私の技術が、誰かの家の中で生き続けているのなら。

私が本当につくりたいもの。

日本には、素晴らしい技術者がたくさんいます。

優れた材料も、設備もあります。

でも、私には、まだまだ足りないものがあるように感じています。

それは、製品の性能だけではなく、家全体の快適さと省エネを本気で追求する住宅づくりの文化です。

手間を省くことも大切です。

施工を効率化することも必要です。

でも、家を安く、早く完成させることだけが目的になってしまったら、何か大切なものを失うのではないでしょうか。

家をつくる側の数か月より、住む人の数十年を大切にしたい。

私は、そう思っています。

そして、いつか世界の人たちから、こう言ってもらえる日本の住宅をつくりたい。

「あの家は素晴らしい。」

「冬も夏も、本当に快適だ。」

「しかも、こんなに少ないエネルギーで暮らせるのか。」

「これこそ、メイド・イン・ジャパンの住宅技術だ。」

私一人で、そんな住宅文化をつくれるとは思いません。

でも、同じ志を持つ職人が増えていけば、いつか実現できるかもしれません。

スウェーデンの技術者たちが、何十年もかけて住宅技術を発展させてきたように。

日本にも、そんな文化を育てていきたいのです。

あの出会いから、すべてが始まった。

1970年。

私が生まれた頃、遠いスウェーデンには、住宅の未来を考えている技術者たちがいました。

やがて、その技術が日本へやってきた。

そして、私を探してくれた恩師と出会った。

ガデリウスと契約し、プラスエナジーハウスに挑戦した。

日本の蒸し暑い夏を快適にする技術を考え続けた。

雪国で家をつくり、10年後の実績を確かめた。

何度も、そんなことをして何になるんだと言われた。

それでも、諦めなかった。

そして今、若い職人たちに技術を伝えている。

こうして振り返ると、一つひとつがつながっていたように思えます。

あのとき、私を探してくれた人がいた。

その人が、日本に伝えたかった技術があった。

私は、その思いを受け継いだつもりです。

そして、今度は私が、次の誰かに伝えていきたい。

技術を発明する人がいる。

その技術を、人の幸せに変える職人がいる。

そして、その技術を未来へ受け継ぐ人がいる。

私が歩んできた道は、その長い物語のほんの一部分なのかもしれません。

でも、私は誇りに思っています。

新潟の小さな工務店で、ずっと家づくりを考えてきたことを。

あの日、スウェーデンの技術に感動したことを。

そして今も、もっといい家をつくりたいと思い続けていることを。

スウェーデンの技術に感動した一人の大工が、今度は世界の人を感動させる日本の家をつくりたいと願っている。

その夢が簡単に実現するとは思っていません。

でも、もう何度も聞いてきました。

「そんなことをして、何になるんだ」

そのたびに、私は考え続けてきました。

そして今なら、こう答えたい。

何になるかなんて、最初から分かっていたわけじゃない。

ただ、もっといい家がつくれると信じていた。

そこで暮らす人の人生を、もっと快適にできると信じていた。

だから、諦めなかった。

これからも、私は諦めません。

私の挑戦は、まだ終わっていないのです。

加藤建築
加藤正勝

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